岩屋城〜大野城〜大宰府政庁跡〜高橋紹運首塚
12/09/11
独り言を喋りながら史跡を歩いてる動画はこちら。

動画よりも詳細な旅のレポートです。
※写真をクリックすると拡大します。

◆太宰府駅(AM10:00)
休日の太宰府が盛況なのは知ってたんですが、平日なのに人が多くてビックリしました。博物館目当ての大学生グループ、おばちゃんたちのツアー、観光のお姉さん、三脚でガッチリ写真をとるおじさんなどが多かったです。
駅の真ん前で動画のOP的なものを撮ろうと思ってたんですけど、上記のような方々が次々と記念写真を撮影されていたので、諦めました。
何しろ不審者にしか見えませんからね…。

軽めとはいえ一応山登りなので、コンビニで飲み物(ポカリ1.5L)と行動食(カロリーメイトとハイチュウ)を購入。
とか言いつつ、ジーパンで行きました。完全にナメてました。
四王寺山頂方面へ続く林道を通って、岩屋城を目指します。
岩屋城までは休憩無しで歩いて50〜60分。林道はなかなかな勾配の上に歩道が狭く、しかも前日の雨で苔が滑りやすくなっていて少し危なかったです。

◆岩屋城(AM10:50)
1586年に壮絶な戦いが行われた岩屋城です。
豊臣秀吉の進出前に九州の制圧を目指す島津家の島津忠長と、それを食い止めるため岩屋城に籠城した、大友家の高橋紹運の戦いです。
島津3〜5万の大軍に対し、岩屋城兵は700程度。島津軍は城の攻略に多くの兵を費やし、半月がかりでようやく攻略しました。
本丸跡からは太宰府が一望できます。この景色が敵兵で埋め尽くされているのを見た城方の心情を思うと、胸が熱くなりますね。←は太宰府跡方面、→は国立博物館&天満宮方面です。
林道に戻って少し進むと、二の丸跡に紹運の胴塚と戦没者の碑があります。死に物狂いの城兵と共に大長刀を振るって奮戦した紹運は、高櫓に上って切腹しました。
紹運の首は首実検の後、島津軍の本陣近くに埋葬されたので、ここには胴だけが埋葬されています。首塚は後ほど。
辞世の句は
「かばねをば岩屋の苔に埋めてぞ 雲井の空に名をとどむべき」
「流れての世の末遠く埋れぬ 名をや岩屋の苔の下水」
の2説。

◆大野城 尾花地区(AM11:50)
11:30に岩屋城を出発、20分ほど歩くと尾花地区(焼米ヶ原)に着きます。
それなりの広さの駐車場があります。

663年の白村江の戦いで唐・新羅に敗れ、今度は逆に攻め込まれることを危惧した天智天皇は、西日本各地に防衛拠点を築きました。大野城は太宰府防衛のために作られた城の1つです。
そんなわけでかなり古い史跡になるので、ここからここまでが城跡!みたいな区切りはなく、山全体のあちこちに石垣や礎石跡などが点在している形になります。全部歩いて見て回るのは、時間的にも体力的にもかなり大変そうでした。今回は百間石垣を見るため、中央の四王寺林道を真っ直ぐ北上します。
尾花地区には校倉造の倉庫が建っていたと思われる礎石が残っています。炭化した米も発見されたことから、焼米ヶ原とも呼ばれているとか。そこら中に礎石があるので、ぶらっと見て回るだけでも結構歩きます。ほとんどは舗装されてて歩きやすいですけどね。
平成の水害で崩れた土塁を、7世紀当時の技術「版築工法」で復旧したもの。裏に回ると構造がよくわかります。
筑前の盲僧琵琶の開祖、玄清法印の墓もありました。太宰府生まれの盲僧で、比叡山の蛇を退治して最澄を助けたり、筑前で流行した天然痘を祈祷によって収束させたりと、かなりの伝説の持ち主です。

◆大野城 増長天地区(PM12:30)
土塁沿いに4棟の高床倉庫跡が並んでいる地区です。もちろん他にも毘沙門天地区や広目天地区などがあるのですが、とても時間が足りませんでした。

◆大野城 百間石垣(PM12:50)
増長天地区から少し行くと、あとはずっと下り道になります。というわけで、百間石垣にはサラッと到着。写真ではわかりにくいですが、見上げる程の高さで結構な威圧感があります。

◆鮎返りの滝(PM13:00)
本来の予定では来た道を引き返して太宰府駅まで戻るつもりでしたが、予定を変更して山を突っ切ることにしました(詳しくは動画参照)。その道中に滝があったので、何となく見に行くことに。
4〜5mくらいの高さでしたが、水害の影響でボロボロに薙ぎ倒された灯篭や看板、流木などがそのままになっていて、凄く雰囲気のある場所でした。

◆太宰府駅(PM14:30)
百間石垣から1時間程歩いて四王寺坂入口バス停に到着。バスで太宰府駅まで戻って、駅前の「暖暮」でネギごまラーメンを食しました。平日のこの時間でも席が埋まってて、見知らぬオジサンたちと密着してラーメンを食べることになったので、写真は無しです。

◆大宰府政庁跡(PM15:00)
駅から30分程歩いて大宰府跡へ。礎石の辺りはしっかり舗装され、それ以外は芝生で覆われていて、よく整備された公園といった印象でした。
ラジコン飛行機を飛ばして遊んでるオジサン達がいたせいもあってか、あんまり史跡に来た感が無かったですね。先ほど登った山が綺麗に見えたのが一番の収穫です。
次はここから南へ30分程の距離にある、高橋紹運の首塚を目指します。

◆般若寺跡(PM15:40)
岩屋城の戦いの際、島津軍が本陣を置いたという般若寺跡。完全に住宅地のド真ん中にあるため、ちょっと探しづらいです。写真は鎌倉時代に建てられたという七重の塔。
発掘された遺構は、ここから少し離れたアパートの前にあります。不審者扱いされるのが怖くて、なかなか撮影できませんでした。
この近くに目的の高橋紹運首塚があるのですが、情報不足によりかなり迷うことに。スマホでググりながら首塚を探しました。
アパート前の看板に首塚の位置が載っているので、これを見つければ一発で場所がわかります。これ無かったら諦めてたかもしれません。

◆高橋紹運首塚(PM16:00)
そんなこんなで苦労して到着。とても綺麗な首塚です。これまた民家の隣にあるので、なかなか堂々と撮影し難い雰囲気がありました。めちゃくちゃ犬に吠えられながら、そそくさと撮影。
住宅地ということであちこちに番地が書いてあるので、この所在地を参考に探すとわかりやすいかもしれません。
ともかく、当初の目的だった紹運の胴塚・首塚を無事に回ることができて良かったです。太宰府周辺はまだまだ行きたい場所も多いので、そのうちまた巡るかもしれません。
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