写真で日本制覇 生配信アーカイブ 【2016/05/28配信】 ニコ生での配信の模様はこちら。 以下はまとめと補足、配信中には拾えなかったコメントへの返信など。 1.カタン さんの投稿 ◆白糸の滝
白糸の滝というと1筋の滝がチョロチョロというイメージだったのですが、こんなに幅広いタイプもあるんですね。幅は70メートルあるそうです。日本夜景遺産のうち、ライトアップ夜景遺産に登録されているのだとか。そりゃあキレイでしょうね…。 軽井沢の近くということで、観光客も多いようです。 ◆嬬恋牧場
「嬬恋」という地名から愛妻家の聖地とされているそうで、今回の写真のような「愛妻の鐘」があるのだそうです…。 元は日本武尊が亡き妻・弟橘媛を思って、この地(碓氷峠)で「吾嬬者耶(あづまはや)」と呟いたことにちなんでいます。(※呟いた場所については足柄峠説もあり) 弟橘媛は日本武尊が荒海を渡るため、海中に身を投じて亡くなったそうです。 愛妻も大事ですけど、それは命がけで夫を思う妻あってのことでしょうね(嫉妬) ◆志賀草津道路
(上記写真は前回のものとひとまとめにしてあります) これでも暖冬で、去年の半分の高さしかないとのこと。 2.みかみ さんの投稿 ◆渡嘉敷島
これを見てると、ダイビングしてみたくなりますねー。海中の景色も生き物たちも、なかなか目にすることのないものですからね。通称ウルトラマンボヤは、ググってみるとよりウルトラマンっぽく見える写真もありました。可愛らしいです。 おまけ写真@サンゴ&デバスズメダイ おまけ写真A灯台下の景色 3.ほろ酔い餃子 さんの投稿 ◆上田城
今年は大河ドラマ「真田丸」の影響で盛り上がっているようですね。 以下、配信時に拾い切れなかったコメント返信。 >>この城って徳川のお金で作ったんだっけ >>上田城は徳川の金で作らせたって真田丸で知った 上田城は徳川家康が上杉景勝に対抗するために真田領内に築いた、徳川家直属の城でした。家康が小牧・長久手の戦いに集中している間に、真田昌幸は上田城を手に入れた上、家康を裏切って景勝に鞍替えしています。 >>コレ、コントにちゃんと検証したレプリカなのか?www 赤備えのイメージは強いですが、具足が現存してないので何ともいえませんね…w >>実戦ではこういう派手な兜はかぶってなかった >>ホントにこんな兜かぶってないの?騎馬大将はかぶってたんじゃないの? 実戦の際にはかぶっていたと私は思うんですが、行軍中は兜持ちが持ってたり、実戦に参加しない大将クラスはかぶってなかったかもしれません。諸説あるかと思います。 >>戦国の人はコメ食わないから背が高かったって聞いたけど違うの? むしろ動物の肉をあまり食べなかったので、背は低かったといわれています。 4.てょ さんの投稿 ◆神戸布引ハーブ園
植物園行ったことないんで、行ってみたいですね。。。 以下、配信時に拾い切れなかったコメント返信。 >>今回リスナーさんのリア充嫉妬画像多くないかww GWに観光地に行ったらそうなりますよね。 >>男の人って可愛い系のお菓子屋さんとか入るのそんなに恥ずかしいのか?買って帰るだけならよくない? 恥ずかしいというより、痴漢に疑われないように両手を挙げて電車に乗るような感覚ですかね。女性用下着コーナーの横を通るときは目を逸らす的な。プリキュアおじさんのように、よっぽど好きなら気にならないでしょうけど…。 ◆イメージフォーラムフェスティバル
◆食べ物
神戸異人館のボロネーゼ。 京都の喫茶店、花咲みさんのフレンチトースト。 ワインになる直前のぶどうジュース。 5.王道でない王 さんの投稿 ◆明石海峡大橋
恋人がいなくても、観覧車にはアンパンマンが同乗してくれるという優しさ。 橋脚をモチーフにした、本州四国連絡橋のシンボルキャラクターわたるくん\(・ v ・)/もいます。 飯テロ画像は淡路島の鯛料理。美味しそうだなぁ。 ◆大鳴門橋
よって、奥に見えているのは淡路島(兵庫)ですね! 6.ゆずこ さんの投稿 ◆沼田
これでも見ごろは過ぎてるそうですが、凄く綺麗です。 余談ですが、この芝桜の写真の際にニコ生ランキングで初の1位になりました。
配信中に「清海入道が好き」とチラッと話しましたが、柴田錬三郎の小説『猿飛佐助』と『真田幸村』では、清海入道は釜茹でにされた石川五右衛門の遺児という設定で、大坂の陣では家康を暗殺しようとした清海が服部半蔵に阻止されるという、太閤立志伝Xファンにはムネアツな展開があったりします。 以下、配信時に拾い切れなかったコメント返信。 >>みんなNHKの おはなしのくに っぽい顔 これで「真田十勇士」の回があっても何の違和感もないですね。昔NHKの人形劇で実際にやってたみたいです。
おまけ。ゆずこさんの地元の森林公園のポピーと、愛犬さま。 これは可愛い。 7.奥ノ家 さんの投稿 ◆宮野古民家自然園
母屋は230年以上前に建てられたものということで、まさに古民家ですね。私も庭に神社と茶室と、お茶の相手が欲しいです…。 ◆目黒不動
以下、「武蔵野」についての奥ノ家さんの文章が面白かったのですが、私の拙い音読では伝わりにくい部分も多かったかと思いますので、許可を得て転載させて頂きました。画像に関しては載せておりませんので、動画と並行してお読み頂くとわかりやすいかと思います。 ▽以下、奥ノ家さんのメールから引用▽ 最後に、この目黒という土地と目黒不動について、 もう少し違った角度からの解説を加えることをお許しください。 今回ご紹介しました目黒という土地は、今現在はタモリさん等の芸能人の方達が 比較的多く住んでいたりで、落ち着いた閑静な街というイメージがあります。 ところが昔は、万葉の時代から謳われている「武蔵野」と呼ばれる原野を 色濃く残した広大なエリアの中の一部でした。 (「武蔵野」の地名は今も残っていて、吉祥寺は、「武蔵野市」にあります。) 江戸時代に入ってからは、田畑、社寺林、屋敷林、街道防風林、雑木林等の 開拓が進みましたが、相変わらず原生林等の濃い自然は残されました。 そして明治の文学者、国木田独歩の作品「武蔵野」を読むと、 明治期にもまだ江戸時代の名残の雑木林が武蔵野の地には 多く残されていたのだなあと感じられることが出来ます。 (ちなみに今回の宮野家の庭に鬱蒼と生い茂っていた植物の何割かは、 武蔵野の原生林の名残りでもあるようです。) このように目黒は江戸時代、完全に郊外として存在していました。 それをわかりやすく表しているのが「朱引き(しゅびき)」です。 画像[16](この画像は東京都公文書館のサイトから引っ張ってきた画像です。) 「朱引き」は江戸幕府が江戸の範囲を示すために使った用語であり、 地図上に朱線で囲った地域として示されたことに由来します。 これは、歴史上初めて正式に示された江戸市域(大江戸)の範囲であり、 「朱引内(しゅびきうち)」、「御府内(ごふない)」、などとも呼ばれ、 この外側は朱引外(しゅびきそと)と呼ばれました。 「朱引き」は明治後も範囲は少し変わりながらも残り、 そして人々の意識の中にも残りました。 例えば、夏目漱石の随筆の一つに「硝子戸の中」という作品がありますが、 この作品の中に漱石自身の生家について書かれている箇所があり、 「朱引内か朱引外か分らない辺鄙な隅の方にあった」とあります。 漱石は大政奉還と同じ1867年生まれで、 この作品は大正4年の1915年に発表されているので、 明治を生きた人々には「朱引き」の概念は残っていたと思われます。 さて、さきほどの画像の「朱引き」と一緒に黒い線も見えると思いますが、 これは「墨引(すみびき)」と呼ばれ、町奉行所の支配エリアを示していました。 ただ、これはご覧の通り、一部分だけ左下で急に朱引きから突出している 箇所があります。 これは何故かと申しますと、博物学者として、または水木しげるの弟子として、 あるいは「帝都物語」の作者としても有名な作家の荒俣宏さんの著作の一つである 「江戸の幽明 東京境界巡り」によると、 今回ご紹介しました目黒不動があるためらしいのです。 朱引外であるにも関わらず町奉行所が関わる必要があったほど、 目黒不動は隆盛し、その界隈は栄え、そして門前町まで出来ていました。 ところで、江戸時代の景観を知る手段の1つとして、 「江戸名所図会(ずえ)」という20冊からなる本があります。 江戸時代後期の1830年代に刊行され、日本橋から始まり、 江戸の各町について由来や名所案内を記し、 近郊の武蔵野、川崎、大宮、船橋などにも筆が及んでいる江戸の町についての 一級資料です。 これには挿絵が一緒に載っているため、江戸の街を視覚的にもイメージしやすい とても面白い本なのですが、7冊目に目黒不動や門前町も載っています。 画像[17][18] これを見ると、周囲はやはりかなりの自然を残し、 なおかつ門前町が栄えている様子をうかがい知ることが出来ます。 この本は現在キンドルで1冊108円というお手ごろ価格で販売してるので、 江戸の景観を知りたい方にはオススメです。 △引用ここまで△ 以下、配信時に拾い切れなかったコメント返信。 >>武蔵野の雑木林は原生林じゃないんだけどね この何気ない1つのコメントに、私と奥ノ家さんは頭を抱え、何度も議論を交わしました…というのは冗談ですが、少し気になるコメントでした。というのも(武蔵野かどうかは関係なく)そもそも雑木林は原生林ではありません。 >>ライドウ好きなら帝都物語は見とけ 昔から気になってはいるんですが、小説も映画もみたことないんですよねー。今度DVD借りてみようと思います。 8.イムの人 さんの投稿 ◆高山右近記念聖堂
尊者⇒福者⇒聖人とランクアップしていくそうです。 ◆高槻城
◆狭山池
狭山池は古事記・日本書紀にも登場する、日本最古のダム式ため池とのこと。 ◆上御霊神社
以下、配信時に拾い切れなかったコメント返信。 >>この時代はホントカオス >>応仁の乱も勉強しないとな 応仁の乱は一大事件ですけど、全部把握しようと思うとなかなか大変そうですね…。恥ずかしながら私も全然詳しくないので、勉強してみたいです。 9.オオモモ さんの投稿 ◆小諸城
など面白い看板が多いですね。 さくらちゃん(地獄の門番)の動画付きです。 ◆象山神社
鎌原桐山(かんばらとうざん)…松代藩家老の朱子学者。 活文禅師(かつもんぜんじ)…江戸や長崎で学問を修めた禅僧。 ◆上田
◆食べ物
2枚目はちくわで六文銭をイメージしたかき揚げのそば。 これは…たまらん。 10.マッパラ さんの投稿 ◆九重浜海水浴場
◆爪木崎灯台
◆ハリスの小径
◆三島神社
吉田松陰が密航を企てて下田に滞在したため、その宿泊・潜伏先や自首した場所などが史跡として残っているそうです。 ◆寝姿山展望台
◆スーパービュー踊り子
11.闘う塾講師 さんの投稿 ◆梅香崎神社
笑顔(?)の素敵な狛犬と獅子が気になります。 ◆大徳寺
梅ヶ枝焼餅は太宰府の梅ヶ枝餅とは別物だそうです。確かに見た感じが違いますね。味の違いが気になるので食べ比べてみたいです。 コメントでは梅ヶ枝餅を食べたことないという方が多かったですね。太宰府に来たら嫌でも目に入りますので、みなさん是非太宰府に来て下さい。 ◆食べ物
飯画像は毎回楽しみなんですけど、配信時の飯テロの威力ハンパない。 12.rusie さんの投稿 ◆島津義弘像
やはり騎乗してる銅像はデカくて迫力がありますね。 碑文に『朝鮮戦役後には高野山に敵味方の供養塔を建ててその霊を弔った これが心は日本赤十字精神の嚆矢となったといわれる』とありましたね。 配信時の私はこれを畏れ多くも疑っていたわけですけど、ちょっと気になります。 これは私が多分高校生くらいのときに高野山で撮った、「高麗陣敵味方戦死者供養碑」の写真です。このときインフルエンザでフラフラだった所為か、肝心の供養碑を写真に収めず、何故か説明看板をメインで写してます。右上端に見切れているのが供養碑ですね。 さて、明治時代に発足した日本赤十字社は、国際赤十字社に加盟を拒否されたものの、この供養碑の存在によって加入を認められたという話があるようです。流れとしては、加盟のために供養碑を利用したような形だとは思うんですが、いずれにしても義弘公の偉大さは間違いありません。 ちなみに上の写真の説明看板の裏には、国際赤十字社加盟の頃に建てられた英語の石碑もあるようです。これはまた、高野山に行かねばなりませんね! ◆福昌寺跡
6代師久〜28代斉彬までの墓がズラリと並んでいます。 ◆西郷隆盛洞窟
英訳すると大体カッコ良くなる説。でも「おはんらにやった命」も普通にカッコ良いんですけどね。鹿児島弁も外国語みたいなもんだし。 ◆南州墓地
◆桜島
私も割と近くからなら見たことありますが、こうして海を挟んで見るのもいいですね! 13.しんら さんの投稿 ◆東京駅
人が少ない東京の景色って珍しい感じがします(受胎後は除く)。 14.しのぶ さんの投稿 ◆長谷寺
この写真は提灯のアップなんでわかりづらいんですけど、本当はもっとカッコいい紋です。長谷寺の公式サイトでご確認下さい…。 どなたか由来とかご存じの方いらっしゃいませんかね? ◆鎌倉文学館
15.水無月 さんの投稿 ◆かえる橋
◆古座川の一枚岩
一枚岩中央の凹みはその魔物の歯形だそうです。 えっ、結構デカいなオイ…。 ◆まぼろしの滝
2番でも凄いと思うんですけど、何だか可愛そうなネーミング。 ◆海中展望塔
◆歓喜神社
古代遺跡かつ御神体なので、BANされません。 配信中、私が卑猥な単語を連呼しているように聞こえるかもしれませんが、投稿されたメールを音読しているだけですからね!読まされているだけですから! しかし勃起ーホルダーは気になる…。 第5回 写真で日本制覇は以上15件でした。 写真を投稿して頂いた皆様、ありがとうございました! 次回も宜しくお願いいたします。 アップロード日:2016/10/14 |
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